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オブリビオンという映画から(2015//13)

過去に奴隷制度を持たなかったナイーブな日本人

 

 オブリビオン(Oblivion)という映画を思い出す。2013年封切の米国のSF映画だ。主演はトム・クルーズ。ストーリーが複雑でどんでん返しが多いので、1回見ただけでは筋が判らないだろうという紹介文に刺激され、挑戦する気で映画館に視に行った。荒筋は、異星人からの侵略を食い止めたものの、核兵器によって地球が荒廃した為人類の大半が土星の衛星に移住し、その後の荒れ果てた地球で異星人の残党を始末している主人公が結局、「人類はほとんど全滅して地球に移住せず、異星人の残党と思っていたのは地球人であり、自分の本部の宇宙ステーションが人類を滅ぼした異星人の基地であり、彼らが自分のクローンを多数作って自分の世界観と価値観を彼らに都合の良い様に植え付けていた」ことに気付き、主人公が宇宙ステーションを破壊する、というものだ。脚本は米国マサチューセッツで生まれ育ったWilliam Monahan

 

この映画が特に記憶に残ったのは、当時奴隷制度の本質と東京裁判史観について考えていたからだ。日本は世界で唯一、歴史上奴隷制度が無かった国であるのに対し、中国も韓国も中近東も欧州諸国も皆、奴隷制度があった。アイルランドは英国の植民地だったし、英国自身がノルマン人を先祖とする王室を頂点にする階級社会だ。云わば外人が土着の異人種を下層階級に押し込め、それが定着した様なものだ。欧州諸国がアジア、アメリカ、中近東の国々を植民地にしたり、農民戸籍の中国人が都市戸籍の中国人の奴隷階級だったり、朝鮮には奴婢がいたりする。所有者は奴隷をその意思や感情を顧慮せず売り買いしたり殺したりできる。

 

日本人はこれを感覚としても頭でも理解していない。この、異民族を奴隷や下層階級として手懐け社会の下層階級として定着させる文化が英国人などの意識に深く染み込んでいてWilliam Monahanの映画シナリオとして表に出てくるのだろう。作家にとって世界の常識をベースに描いた世界観だが、「人間として皆平等」意識が染み込んでいる日本人にとってはとてもSFチックに見えることになる。

 

この異民族支配プログラムは戦後の日本だけでなく、最近では米国の中東支配でも見られる。筆者は最近までハンガリー企業の日本子会社を設立して運営していたが、ハンガリー本社から半ば強要された本社との契約が、日本人という異民族を何とかして自分の意に添うように、抵抗できない様にしようという意図が見えで辟易したことを思い出す。

 

オブリビオンのシナリオを色眼鏡、フィルターにして先の大戦後の歴史を省察すると、占領軍がWar Guilt Information Program(WGIF)を施行したり、中国軍やロシアが捕虜や抑留者を洗脳したりして、その成果が現在の左翼や野党に脈々と受け継がれているのが見える。WGIFは戦時下の軍部と国民を二分し、軍部を悪とし、軍部の残虐非道なふるまいに国民が深い懺悔の念を持つように国民を洗脳するプログラムだ。つまり、日本の多くの国民は、オブリビオンでの異星人による価値観の植え付けから目覚めていないまま、ということだ。