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image001アジアの成長と日本(2018/5/24

かっての日中韓のゴールデントライアングル論は中韓の謀略だった

 

日経新聞2018年4月11日朝刊のコラム「経済教室《で、「アジアの成長と日本《と題して“「工場《から「技術革新《の拠点に”という論説が載っている。https://r.nikkei.com/article/DGXKZO29208120Q8A410C1KE8000

 

この論説を読むと何となく気持ちが悪くなる。何故かを考えてみた。

論説子は主張のポイントとして(1)日中韓の技術革新は質的に欧米に及ばず、(2)日本なお自国主義、米中は知的連携強化、(3)アジア新興国との知的連携で存在感示せ、の3点を挙げている。どんな論説にも無言の前提条件がある。無言なのは、前提条件まで記述するとコラムの字数制限を超えてしまうからでもあろう。だから、コラムを読むときはその前提条件を想定し、それを基に個々の記述の意味を理解しようとすべきだ。

 

3つの論点から明らかになるのは、世界は欧米対日本、韓国、中国の運命共同体の対抗で成り立っているということである。この前提条件はおかしい。例えば中国は「中国国内でしか使わないから《という条件で日本から新幹線の技術情報を引き出し、自国で高速鉄道網を建設し、それを「これは中国が独自に開発した技術だ《と言って諸外国に販売しようとしインドネシアでは日本に競り勝った。中国はISO規格を独自に制定しそれをISOとして世界に広めようとしている。対する日本はISOの委員会でまことに従順でナイーブな限りだ。韓国も、例えば新日鉄の技術指導を受けたポスコが特殊鋼の技術を盗み出し、新日鉄を同等の製品をより安価に販売し新日鉄に搊害を与えた。だが、両国とも多くの技術が日本に及ばないことを知っている。だから彼らは日本から技術を何とか導入しようとして必死なのだ。

 

技術開発は国家の覇権を決定する決定的に重要な要素であり、その競争は一種の戦争なのだ。こうした環境で論説子の言う「日中韓を中心とした国際共同研究支援《をすればどうなるか明白だ。欧米を凌駕する技術を持っている日本は技術を中韓に吸い取られ、国益を大きく搊なうだろう。

 

このコラムを読んで思い出すのは「路地裏の経済学《で有吊だった竹内宏氏(1930*2016)が、鄧小平が生きていた数十年前に日本経済新聞の確か「経済教室《に寄稿したコラムだ。彼はそこで、今後の日本経済は米国に追従するのではなく、日中韓の三か国で連携して進めるべきだと説き、その後日本は中韓に莫大な技術援助、資本援助を行い、両国のGDPは高い成長を示した。逆に日本は失われた20年を迎え若者は失業氷河期に苦しんだのだった。

 

このスタンフォード大博士の論説の前提条件はかって竹内氏が主張したものと同じ匂いがする。犯罪事件が起こった時、探偵はその犯罪によって誰が一番得をしたかを調べ、犯人の目ぼしをつける。犯人の匂いを嗅ぐのだ。竹内氏のあの主張は経済学者らしくない可成り政治的なものだったと思う。その背景は当時の国内の政治状況だったかも知れないし、当時のリベラリズムの主流の主張に添ったものだったかも知れない。しかし鄧小平以来の中国は米国が用意した国際経済と政治の枠組みを狡猾に利用して経済成長を続け、先進国を浸潤し続け、習近平に至っては鄧の韜光養晦(とうこうようかい)をかなぐり捨てて露骨に世界制覇を進めだした。米国の国内と国際の政治状況が当時とは様変わりし、リベラリズムの失敗が顕著になって来た今、このスタンフォード大博士の論説は日本の国益を搊なうものになっているとは言えないか?

 

おりしもトランプ大統領はダメダメだった民主党オバマ政権に替わって前政権のリベラル政策の多くを否定し、強権をもって北朝鮮と中国を従わせ、米国が中国を国際社会にデビューさせた当初の路線に戻そうとしている。論説子の様な日本のエスタブリッシュメントは世界の政治建材の風景が変わっていることを理解せねばなるまい。